東京高等裁判所 昭和31年(ネ)1517号 判決 1956年11月16日
控訴人 ジヨン・オーエン・ガントレツトこと岸登則親
被控訴人 国
訴訟代理人 武藤英一 外一名
主文
本件控訴を棄却する。
訴訟の総費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「第一番判決を取り消す。控訴人が日本の国籍を有しないことを確認する。訴訟の総費用は被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上並に法律上の主張は、左のとおり附加する外、第一審判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する。
控訴代理人の主張
(一)本件帰化申請に対する内務大臣の許可処分が、効力を生じない理由を要約すれば次のとおりである。(イ)右帰化申請は控訴人の自由意思によるものでないから無効であり、従つてこれに対してなされた許可処分も当然に無効である。その詳細の理由は、第一審判決事実摘示のとおりである。(ロ)旧国籍法第七条第二項第五号によれば、外国人が帰化するに当つては、申請者が日本の国籍を取得することにより、その外国の国籍を失うべきことを以て、帰化申請に対する許可処分の効力要件としているところ、本件においては、控訴人は日本に帰化するも、英国籍を失わないことが英国の国籍に関する判例によつて明かであるから、右帰化の許可処分はその効力要件を欠き、当然無効である。(ハ)英国の判例によれば戦時中英国人が敵国に帰化するときは叛逆罪を構成することになつている。外国人を帰化せしめることによつて、これに叛逆罪を犯さしめるというが如きは不仁も甚しく、法理上到底許さるべきでないから、内務大臣は英国人たる控訴人に帰化を許可する権能を有しない。かかる意味において、本件帰化の許可処分には重大にして明白なる違法があり、当然無効というべきである。(ニ)本件帰化の許可申請従つてこれに対応する許可処分は要素に錯誤があるから、いずれも無効である。その詳細の理由は原判決事実摘示のとおりである。(ホ)本件帰化の許可申請は強迫によるものである。控訴人はこれを理由に右申請を取消したから、該申請に対する許可処分も亦無効である。而してその詳細の理由は原判決事実に摘示するとおりである。(二)原判決事実摘示を次のとおり附加訂正する。(イ)控訴人の父の一カ月の収入を「金二百円乃至三百五十円」とあるを「金二百円乃至二百五十円」と改め、(ロ)控訴人が「英国の国籍を保有する限り」就職は絶望的であつた、とあるを「日本の敵国人たる限り」と訂正する。(ハ)なお大平洋戦争勃発以来、控訴人は警察署から来客との英語による会話を禁ぜられていた事実、名古屋市御器所警察署特高主任伊藤辰次郎から敵国人として生活するの不利なるを説いて、日本への帰化をすすめられた事実、当時控訴人の財産は凡て凍結せられ、帰化しない限りその解除は認められず、しかも解除されて財産の一部を処分しなければ、当座の生活費も調達することができず、家族と共に生活不能となるべき極度に窮迫した境遇に在つた折柄、かかる帰化の勧告を受けたので、控訴人は恐怖の余り帰化の申請をなすに至つた。以上の事実を本件帰化の許可申請が、控訴人の自由意思によらず、強迫によるものとする事由として附加主張する。
被控訴代理人の主張
(一)戦時中、敵国人が我国に忠誠を誓つて帰化を願出た場合、仮にその帰化が当該敵国の判例法上叛逆罪を構成する場合でも、そのことは当該敵国人に不利益を及ぼすだけで、我国には少しも不利益となることでないから、我国法特別の規定がない以上その帰化を許可することは何等違法でない。(二)控訴人の本件帰化が英国判例法上叛逆罪を構成するものであるかどうかは、必ずしも明かではない。控訴人の引用する英国判例(甲第七号証所載)は、一九〇三年の古い判例であり、しかも、帰化後敵国軍隊に参加したことによつて叛逆罪に間われた事案に関する。控訴人が本件で主張するように、戦時敵国における生活上の苦境を免れるため、やむを得ず帰化の途を選んだまでで、別段利敵行為をしたこともない場合でも、叛逆罪が成立するとされるかどうかは甚だ疑問である。(三)仮に、控訴人の本件帰化が英国判例法上叛逆罪を構成するものとし、そしてそのような場合は我国法上帰化を許可すべきでなかつたとしても、そうした消極的要件の存在を見落して右帰化を許可した認定上の瑕疵は、当該許可処分を当然無効たらしめる程重大且つ明白なものといえないことは、多く言うまでもない。
<証拠 省略>
理由
控訴人が明治三十九年三月一日岡山市において英国人エドワード・ガントレツトの長男として生れ、英国籍を取得し、爾来日本に居住し、昭和十六年四月より第八高等学校の外人英語教師となり同校に勤務していた事実、昭和十六年十二月八日太平洋戦争勃発後、控訴人は昭和十七年五月頃内務大臣に対し、日本への帰化の許可申請をし、昭和十八年二月内務大臣よりその許可が与えられた事実は、いずれも本件当事者間に争がない。
控訴人は右帰化の許可申請は、官憲ないし社会的環境の甚しい圧迫強制により全く自由意思によらずしてなしたものであるから当然無効であり、然らずとするも強迫によつてなされたものであるからこれを取消す、而してその申請が取消された以上、これに対応する許可処分も無効に帰する旨主張するのであるが、これ等の主張を採用し得ないことは、第一審判決理由に説示するとおりである故、これを引用する。控訴人が援用する前控訴審における証人斎藤晴造の証言並に控訴本人尋問の結果を以てしてもこの判定を左右するに足りない。
控訴人が敵国たる日本に帰化するも英国籍を失わないことが、英国判例法上明かであるから、本件帰化申請に対する許可処分は、旧国籍法第七条第二項第五号に定める要件を欠き、当然に無効であると主張するけれども、内務大臣が同法の前記条項に規定する条件を具備するものと認めて帰化の申請を許可した以上、仮にその認定に過誤があり、処分が違法となる場合であつても、その違法が重大且つ明白でない限り、これを法律上当然無効とすべきでなく、そして右認定上の過誤が同条項第五号に関し、申請者が無国籍者であるか又は日本の国籍の取得によつてその国籍を失うべきこととなる条件に反して許可したときと雖も、これを以て重大且つ明白な違法ありとして無効とすることを得ないことは、先に本件につき上告審たる最高裁判所が前控訴審判決を破棄する理由として説示したところである。右につき、控訴人は、英国法によれば、英国人が戦時敵国に帰化するときは、これより英国籍を離脱しないだけでなく、刑事上叛逆罪を構成するものとされており外国人を帰化させることによつて、その国に対する叛逆罪を犯さしめるというが如きは不仁も甚しく、法律上到底許さるべきでないから、本件帰化の許可処分には重大にして明白なる違法があると主張する。そして控訴人の提出にかかる甲第四号証の二、第五号証ないし第七号証(いずれも成立に争がない)に徴するに、英国においては制定法の定める国籍変更自由の原則に対する例外として、判例上(キングスベンチデイビジヨン一九〇三年王対リンチ事件判決)英国臣民が戦時敵国に帰化する権利は認められておらず、その行為は叛逆行為であり、犯罪となるべき旨論ぜられておるようであるが、このようなことは外国判例の周到な調査研究を俟つて初めて知りうべき事柄にすぎない。それ故内務大臣が帰化申請の審査に当り、認定上の過誤により、その者の国法上叛逆罪の重罰を以て帰化を厳禁されている敵国人に対し、帰化を許可した点において、その処分に重い瑕疵があつたとしても、かような外国判例法の解釈問題を包含する事項に関する過誤は、その処分をして当然無効たらしむべき程の明白なる違法を来すものとなし難いことは多言を俟たないであろう。故に控訴人の前記主張は採用の限りでない。
控訴人は更らに、本件帰化の許可申請は日本国籍の取得により英国籍を喪失しないのに拘らず、これを喪失するものと過信してなしたものであつて、要素に錯誤があるから無効であると主張するので、審按するに、旧国籍法第七条第二項第五号は、日本の国籍の取得によりその国籍を失うべきことを以て帰化の許可の要件として規定しているけれども、申請者が帰化を許される結果、従前の国籍を失うべきことは、新に国籍を取得することの許可を求める意思表示たる帰化申請行為自体の要素をなすものではないと解すべく、加うるに控訴人は当時日本における生活上の苦境を免れるがため、帰化によつて英国籍を失うかどうかにつき、特段の考慮を払うことなく、本件帰化申請に及んだものであることは第一審判決理由に説示するところであり、当裁判所もこれと認定を同じくするので、右の説示部分を引用する。従つて本件の帰化申請が要素の錯誤に基くものといいえないこと明かであるから、控訴人の右主張も採用できない。(内務大臣の帰化申請許可が錯誤に基き、法定の要件具備するものと誤認してなされたからといつて、こがため当然無効となし得ないことは既に前段において説明したとおりである。)然らば、控訴人の本件帰化の許可申請並にこれに対応して内務大臣のなした許可処分は、共に有効とする外はないので、控訴人は帰化により日本の国籍を取得したものというべく、右国籍を有しないことの確認を求める本訴請求は認容するに由がない。よつて同一趣旨の下に右請求を排斥した第一審判決を相当とし、控訴を棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条、第九十六条に則り、主文のとおり判決する。
(裁判官 薄根正男 奥野利一 山下朝一)